性別について

高校生のときかな、基本かわいいものが好きなので女の子の服が着たいと思って、「(女の子の服が着られるから)女の子になりたい」と言ったとき、当時付き合っていたバイセクシュアルの恋人に「女の子になりたいの?女の子の服が着たいの?」と聞かれ、確かにそれは一緒くたにできることではないなと初めて自覚し、そのときはどちらかというと後者寄りだったのでそれ以来そういう欲求については「女の子の服が着たい」と適切に表現するようになったのだが、それから幾年かの時を経て、徐々に性別も移ろいつつありまして。

今はとりあえず、
・自分の肉体の性別に違和感を持っている
・恋愛対象は女性である
という点からXジェンダー(MtX)というところに身を置いています。
一見するとシスヘテロの男性と差が無いので、大声では言わないようにしています(というのも中性的な男性を装い相手を油断させ近づく輩がいるらしいので、自分がそれにならないようにという…せめてものセクシャルマイノリティに対する偏見を助長しないための何か)

高校生の時とは違って今は時期によって女性になりたいと思うときもありますが、基本的には「男性」に課せられるジェンダー的プレッシャーから解放されたい、という感情が根源に今があるので、女性になりたいというよりは男性でありたくない、あるいは性別という概念に囚われたくない、という立場にいます。
ありがたいことに(ありがたいのか?)10代の後半くらいから20歳くらいまで恋人がほぼ途絶えなかったのですが、最後の彼女と付き合っているときくらいに「いや、男の責任、大きくない?」と感じて以来、恋愛が面倒になり性別的にも揺らぎ始めました。
まあ、勝手に責任感を持っていただけなんでしょうけど、それゆえ対等な関係が作りづらかったので結果として長続きもしませんし、然るべき変化が起こったのかなと思います。今の姿勢で恋愛する気になったら、比較的フラットに接することができるのかな。どうだろ。まだだいぶ億劫な気持ちが大きいですね。

過度な責任感の筆頭としては、当時は相手が学生とかの世代だったわけなので、キスしたりイチャイチャはするけど絶対にセックスはしないというものでした。
もし仮に妊娠してしまったとき心身ともに傷つくのって母体だし、お金出せば解決する話でもないと思うので。妊娠してなくてもちょっと生理が遅れたりしたらきっと不安になるだろうし、学生ってわりと忙しいのでそんな無駄な不安を与えたくなかった。
その懸念材料と性欲を天秤にかけたら余裕で懸念が勝つので私は理性を保てたわけですが、周りの男子も女子もあまり深く考えず行為に及んでいるのを見て、怖くないのかなあと思っていました。

そんな風に考えてる人普通いないよ、と言われたのは褒められてたのか嘲笑われてたのかわかりませんがレアケースなんだとは思います。私の元恋人のみなさんは珍しい経験をしたと思っておいてくれ。

とにかく今は、良い意味で私を男として見ていない女友達もいるし、非常に居心地の良い人間関係ができているので友人たちには感謝です。

我々の中では女友達同士で手をつないでいる光景に過ぎないものの、外から見たらカップルに見えるんだろうな、という面倒臭さを感じたりはしますがそれでも同世代にはそれを受け入れてくれる人がいるのでありがたいなと思います。
だから今の中高年が死んだ頃には世の中の仕組みも色々変わるんじゃないですかね、その頃まで私が生きているかはわかりませんが。

こんな奴も世の中にはいるよ〜、という珍しい生態の記録レポートがてらこの文章をインターネットの海に流そうと思いました。
変わり者ですが害はないと思うので今後ともよろしくお願いしますね、世界。