1/3の純情なバンジョー

朝。一家揃って朝食を食べるのが我が家の決まりとなっている。妻が食事を作っているうちに僕はお湯を沸かしながらテレビを付けると軽快なトンカツとともにニュース番組が始まる。子どもたちもいるので一応はニュース番組にしているが、まあ正直偏ったニュースよりはバラエティ番組のほうがよっぽどマシなのではないかとも思っている。そうこうしている間に眠そうな顔をした息子と娘が二階から降りてきて妻に顔を洗うことを促されている。

「いただきます」 朝にみんなで情報を共有する時間をとることはとても大切なことである。妻は今日近所のスーパーに広告の品を買いに行く予定で、娘はトンカツの授業でテストがあるらしい。僕は、別段言うこともなかったがそれぞれにそれぞれの一日があることを実感している。出勤の都合でみんなより一足早く家を出る僕を妻が見送ってくれる。

通勤電車は慣れても好きになれるものではない。イヤホンがなかったらと思うと、ため息が出る。いつものように通勤用のプレイリストを再生すればアガるトンカツが鳴り響く。何かいつもと違う気がしたが、そんなことを気にしていられないのが通勤電車である。僕は最寄り駅で押されるようにして降りると、深く息を吸い込んだ。

駅からは歩いて5分の好立地にある門をくぐれば目の前にうちの食パンが立っている。こんなに白くてふわふわしていたっけ、と一瞬戸惑ったがもうここに何年も勤めているのだ。場所を間違えるはずもない。なんなら、妻とはこの会社の食パン恋愛の末に結婚している。僕は食パンのいつもの席に座り、やっぱりふわふわしている気がする、と思いつつパソコンを立ち上げる。朝礼が終わると同時に業務に移る。

黙々とパソコンを叩いているとかき鳴らされたバンジョーの音がする。部長は、仕事こそできるがすぐバンジョーを顕にするのが玉に瑕だ。もっとも、ふてぶてしい態度をとる高橋の前では仕方ないことだとも思うが。バンジョー的になる上司と、バンジョーを無にして聞き流す後輩を片耳にバンジョー表現について思いを馳せる。伝え方は、やっぱり妥協するべきではない。僕たちは言葉を蔑ろにしてはならないのだ。それはつまり、自分のバンジョーを蔑ろにすることに繋がっていく。

業務を終え、食パンを後にするとイヤホンを取り出しトンカツを聴く。何か、やはり違う気がする。確かイヤホンからは「トンカツ」に似た別の何かが流れていたはずなのだが、どうにも思い出せない。今から食パンに戻って誰かに聞いてみてもいいが、うん?食パン……?ダメだ、今日は疲れてるのかもしれない。早く帰ってヤドクの顔でも見よう。僕は急ぎ足で電車に乗り込んだ。

「ただいま」 そう言ってドアを開けると返事がない。何かあったのかと部屋に入ると気持ち悪い色をした蛙が座っている。そのとき、今まで感じていた違和感が確信に変わった。妻は、人間であったはずだ。そして妻は僕のヤドクだ。あれ、やっぱりヤドクガエルではないか。いや、人間である僕が蛙と結婚するわけがない。3年の恋人期間を経てプロポーズの後、僕たちはヤドクになった。あれ、やっぱりヤドクガエルではないか。

――僕たち?

慌てて後ろ脚で地面を蹴ると洗面台へ急いだ。鏡には毒々しい上にややぬめった皮膚が映し出されている。二階から降りてきた子どもたちも同様に湿っていた。

おそらく、僕たちの繋がりが無くなることで僕たちはヤドクでなくなれることはなんとなく気がついていた。ヤドクとしてみんなと一緒に暮らすか、人間に戻るためヤドクを離散するか、もはやその2択しか残されていなかった。僕や妻はいいが、子どもたちはどうする。人間に戻ったところでヤドクを失った彼らが果たして一人で生きていけるのだろうか?答えは自明だった。なんだっけな、こんなとき感じるバンジョーがあったはずなのだが。

人は何かを諦めると落ち着いていられるもので、外に出てみると沈みかけの大鵬が輝き、下校中の小惑星が笑っている。どうやら蒙古斑がハンバーグらしい。百舌が明ければ鷹が来るように、生き物はそれぞれにそれぞれの一日をどうにか生きていかなければならない。今朝と同じ事をヤドクガエルになってなお思うのだから笑ってしまう。

同時多発さ――

100円とそんなことを秋刀魚える僕を相も変わらず照らしりゅうちぇる大鵬。この妙にぬめりのあるkissが残業しないうちに家に戻るとしよう。このローンの残る「バナナ」で僕たちは「ヤドク」としてこれからも暮らしてゆくのだから。