私は春という季節が苦手だ。

春が悪いわけではないのだが、春になると不安定になるのは揺るがない事実であるから、できる限りで春を迎えたくないのが本音である。

春が苦手な原因ははっきりしていて私が小学六年生のときに遡る。
私は全校生徒が100人程度の小さな小学校で生徒会長を務めていた。

まもなく小学校を卒業しすぐ隣の中学校に入学することとなる私は校長先生に呼び出され、新入生代表の言葉を言えと言われる。後にも先にも校長先生に呼び出されたのはあれきりである。
どうやら代表は近隣の小学校で順繰りに担当しているらしく、今年はこの小学校の番なのだそうだ。

断る選択肢はほぼ無かった。
今思えば名誉ある経験なのかもしれないが、春休み中は当然のようにずっと緊張していた。

人前で話すことに少し慣れてきていた頃ではある。実は緊張したのは当日ではない。
入学式より前に、まだ入学していない学校の制服を着て、一人で中学校に乗り込み、担当の先生の添削を受ける、というミッションが当時の私にはあまりに重荷だった。

適度に暖かく、雲の少ない空。春特有の南風が吹いていた。
なんだかよくわからない校門の花が咲いていて、すれ違った「先輩」は不思議そうに私を一瞥する。

職員室の隣、進路指導室で、後に国語の先生ということが判明する先生に原稿用紙を見せる。「読書は好き?」「最近は何を読んだ?」そんな質問をされた。最近読んだのは子ども向けの江戸川乱歩だが、第一印象はもう少し無難な方が良いのではないか、などと考え「チャーリーとチョコレート工場」と答えた。

後にその先生とはハヤカワミステリの話で盛り上がることとなるのでいらぬ心配だったのだが。

正直、その日の方がよほど印象に残っていて、入学式のことはほとんど覚えていない。
おそらく首尾よくこなしたのだろうと思う。
なんというか、新入生も在校生も誰も聞きやしない声明にも意外としっかりした準備があるのだ。

と、まあこれだけしっかり覚えているし、春風が吹くたびにあの緊張感を思い出す程度には私の中で上書きされない記憶になっている。
新生活、新学期、そういったことの不安も今までの間で蓄積され、春の不安係数はとてつもなく高まっている。

今の仕事に就いたのも2年前の5月のことである。
この時期になると働いている建物の木がどことなく薫りだし、入社時の緊張を思い出す。

春は苦手。春は人々を唆すから。