優秀というレッテル
これを、自虐風自慢だと思うのなら、それでいいから少し耳を傾けてほしい。
私は、「優秀な奴」「仕事ができる奴」という評価をされがちな人生を送ってきた。これは、小学生から始まり、仕事を始めてからもおおよそずっと。勉強ができるというニュアンスよりは、要領が良いといったニュアンスだろうか。とりあえずあいつに任せよう、みたいなポジションに落ち着きがちである。
しかし私は、「ごまかすこと」と「嘘をつくこと」が得意なだけ。決して仕事を要領良くこなせる人間ではなく、「どの部分の手を抜かなければ怒られずにそれっぽく仕上がるか」がなんとなくわかるだけ。それはそれで一つの能力ではあるものの、ズルをしている感覚は拭えない。
だから、相手は「できる」と踏んで私に託した案件で簡単にキャパオーバーになることが少なくない。荷が重いと断れれば良いのだが、「任せ」られるときは決まって拒否権がない。ゆえに引き受けることになっておいて非常に申し訳無いが、私にその案件は力不足だし、端から役者不足なのである。
私を買いかぶる人に買いかぶるなと言っても改善されることはないし、かといって私は「それっぽくこなす」以外の仕事の成し遂げ方を知っているわけでもない。つまり、キャパオーバーな案件を死ぬ気でこなすしかない。今までそんなことばかり繰り返してきた気がする。
それゆえに時折、ありのままの私を見てくれる人が欲しくなる。大してできもしないポンコツな私をポンコツだねって笑ってくれる人が。でもそう思われるのが怖いから、姑息な手段で取り繕ってしまうのだろう。ああ、自家撞着とはこのことを言うための言葉なのかもしれない。
要点を押さえてそれっぽく見せることは長所足り得る要素だとは思うが、いつか綻びからバレてしまうのも事実だろう。
君は気付いてくれているだろうか。私の、いや、僕?なんだっけ、ああ、俺、の素顔に。