秋だから寂しくなるのか、夏の暑さに感けた日々を終え寂しくなった頃に秋がやってくるのかは知らないが、ご多分に漏れず秋には寂しくなるもので、そんなありふれた感情を持つ自分はさも標準的な人間であると誤解しそうになるけれど、掃いて捨てるほどある秋の寂しさを歌った歌に一つも共感なんかできやしなくて、自分の寂しさは自分の寂しさでしかないと痛感しているわけであるが、こうも過ごしやすくファッションの自由度も高い季節に哀愁を結びつけてしまう我々日本人は根っからのネガティブなんじゃないかと思ったりもするわけで、つまりこの季節に寂しくなるのは当然だ、と処理されてしまうから誰も何も言ってはくれないなんてことに気付いても寂しさはあいも変わらず寂しさでありそれ以外の形容ができないという事実は紛うことなき事実であり、こうして詩にもならない文章を認めている始末である。