あいうえ音頭

この時期は短歌の賞がいくつか重なっていて周りの人々が挙って50首連作を編むのですが私は特に興味がないので昨年から50首作るけど賞には出さずTwitterに流し既発表作にするという、奇行をしています。

今年も誕生日を迎えたので記念にあ〜んで始まる短歌を41首作ってみました。

以下詠草です。お楽しみください。

 

あいうえ音頭 笠原楓奏(ふーか)

 赤い花 赤くない花どちらもが私たちより美しく咲く
 良い服を買った矢先に雨が降るように世界は祝福をする
 移ろえば忘れていいと思うなら四季とは過去を殺める期間
 えいえいお えいえいおって本当に頑張るときは子音も捨てる
 お大事にしてくださいねそう告げる医師はみんなにそう告げている
 買って出たのは良いものの誰からも感謝されない担当大臣
 気になった人に気に入られるために個人保険に加入してみる
 くだらない話をしても赦される関係性を呼ぶ代名詞
 健康を害するものをこの世から消し去るために食べる揚げ物
 後悔は先に立たないらしいので多分行けない立食パーティー
 三度目の彼の話を聞き終えてマルゲリータは冷めきっている
 集団で下校したのに途中からひとりになって人生みたい
 筋書きの無い台本を携えてああ私って何しても良い
 席を立つときのひとこと以外にはただ凪いでいる沈黙のカフェ
 そうだ愛、銀座あたりに見に行こう多分なんでもあるんだろうし
 大会で負けなかったと言うだけで目立ってしまうおでこのニキビ
 ちょっとだけ寂しいときにちょっとだけ頼れる人が案外いない
 月を見て雅と思う感性を置き去りにして光る液晶
 丁寧に燃えてほしくて蝋燭に火を灯すとき震える右手
 特売の愛が売り切れできるなら安くしたいとみんなが願う
 名前からして強そうな上司だがたまに飴とかくれるから好き
 人間のことを呼ぶときニンゲンとやっぱり言うのだろうか猫は
 温まったビールもビール冷え切った愛も愛だと知らせるように
 猫の日がはたしていつか知らないが猫は今日だと云うように鳴く
 のうのうと歳だけ取ればおじさまにアップデートが来ない脳髄
 肺胞の全てで君を吸い込んで今日が春って信じ込みたい
 昼間からシャワーを浴びる非日常的空間は意外と安い
 普段なら履かない靴を履いた日はちょっと世界が崩れて見える
 謙り慣れた社員が死んだ目を輝かさせていただいている
 ほっといてほしい 私の産声も知らないくせに口説かないでよ
 またいつか巡り会ったらもう一度振ってあげるねさよなら茶髪
 南から吹いているので南風 人の間に潰れ人間
 無理なのよ端から君の頭脳では私を恋に落とすことなど
 めちゃくちゃな人生だけどめちゃくちゃに愛されていてこれも人生
 もう少し手間をかければいいものをできた勢いだけでツイート
 やだという語彙を持ってる大人ってちょっと羨ま妬ましいです
 指切りで契った数だけ裏切れるとすると約束も悪くない
 ヨーグルト食べた朝だけ赦される幸せそうな人間のフリ
 笑い事なんですもはや笑わなきゃやってられない夜もあるから
 をををををををを我らは夜もすがら左記の通りでどうかしてます
 ん、いいよ あなたの許可が下りるとき私たちって無敵なのかも

一日で作ったので手癖満載ですね。それもまた一興でしょう。
こちとら必死に生きているんじゃ。

余談ですが誕生日記念に弾き語りの1stミニアルバムも作りました。

youtu.be

仰っていただければ音源をお送りすることはできますのでお知らせくださいませ。

クリエイションは止まらない。

死ぬということを諦めつつある

もうすぐ歳を重ねることになるのだけど、漠然と25歳くらいには死んでいる予定だったんですよね。

ところが、無事かどうかはさておいて26歳を迎えられそうになってきました。
(私の誕生日は6月6日)

26歳になるとすると30歳くらいまでは生きられる気がしてきてしまうもので、多分死ぬ運命ならここまでに死んでただろう、ここまで生きてこられたということはおそらく生きるさだめなのだろう、と生きることを受け入れつつある自分に驚いています。

今までその場しのぎの生き方しかしてこなかったけど、これからは将来を考えた行動をしようとか、そんなことすら思っています。

誕生日を祝われることがずっと苦手だった。
別にめでたくないからほっといてくれと思っていた。

でも今年は初めて、祝われたいと思っているのです。
なんでだろうね、色々頑張ったな〜と我ながら思うからなのか、生きることを受け入れたからなのか。

何はともあれ人間って変わるものですね。
オチのある話じゃないのだけれど、人間って変わるものですね。

○○短歌というものについて

恋愛短歌、性愛短歌、青春短歌、BL短歌、百合短歌……
世の中には様々な○○短歌があり、自称しているものから、他人がカテゴライズしたものまであるだろう。

その、自称しているもの(こと)について少し思うことがある。

例えば、割った卵の黄身が二つだったという旨の歌があったとしよう。
私たちはそれをラッキーなことと思ってもいいし、単にただごと歌と思ってもいい。

しかしその短歌に#恋愛短歌のハッシュタグが就いていた場合、
黄身は君と掛けているだとか、二つは二人の暗喩であるとか、別の読み方に誘導される。

 そしてもしそれが作者の意図の場合。
 それはもう三十一文字での表現には失敗している。
 つまり三十一文字外の情報で読み方にバイアスをかけている。

BL短歌等も同様だ。
その一首もしくは一篇の中でボーイズラブであることが想起させられているなら、ボーイズラブを詠った作品として鑑賞するに値するが、BL短歌と銘打って発表することによってそう読ませているなら、ちょっとずるい手口ではないかとすら思う。
読者の解釈の余地を狭める行為でもあり、少なくとも私は短歌を読むときに、こういう読み方をしてください、と案内されたくはない。断じてない。

また、最近流行りのフォト短歌であるが、あれは大喜利によくある「写真で一言」の詩歌版だと思っている。短歌の一種と解釈しても良いのかもしれないが、少なくとも三十一文字外の情報があまりにも多いので、私はあくまで「フォト短歌」という別のジャンルだと思って距離を置いている。同じ駅名でも乗り換えに時間がかかるJRの駅とメトロの駅みたいなものだ。

 とことん三十一文字に感情が収まりきってなくて笑ってしまう。
 短歌じゃない媒体を使えばいいのに、と思っている。

突き詰めていくと、短歌というハッシュタグをつけることも必要ないことなのではとすら思えてくる。だってそれが短歌なら短歌と言わなくても短歌として鑑賞されるだろうし、短歌足り得ないならハッシュタグをつけても短歌には及ばない。
もちろん、検索のための機能として使っている人がほとんどだろうし、私も短歌のタグはつけている。ただ、見てもらって客観的なリアクションを確認したい、という理由さえ削げば私にとってそのタグすら不必要なものに感じる。

歌意の解釈を自ら説明する歌人に対して、もったいないことをするな、と常々思っていているが、〇〇短歌と銘打つのも実は結構な損なのではないだろうか。

我々は読者の多様な解釈の可能性によって作品を成り立たせている。
それを作者側が誘導するということに、私は抵抗を覚えてしまう。

  深読みをする人々を媒介し歌は知らない街で咲くのだ / 笠原楓奏

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第1回ニッケルハルパ歌会ありがとうございました!

 こんにちは、ふーかです。この度は第1回ニッケルハルパ歌会にご参加いただきまして誠にありがとうございました。ニッケルハルパというほとんどの人にとって未知である楽器を詠み込み必須で短歌を作るというのはなかなかに難易度の高いことだと思いますが、それでも多くの方にご参加いただけてとても嬉しく思います。

 普段から短歌を読んだり詠んだりしている人、音楽をやっているフォロワーさん、また全然別のジャンルの方まで、幅広く詠んでいただけたことが何より嬉しく、ジャンルの垣根に立っている意味を実感しました。

さて、今回は計24首の歌がエントリーされました。
ニッケルハルパについて調べ、その特徴から詠まれたもの、あるいはその耳慣れなさから詠まれたもの、大きく分けるとそのふたつのスタイルがあったように感じています。
せっかくですので、簡単に評を。
掲載は投稿順となります。

 

1 ぎこちなくニッケルハルパとつぶやけばすべての声は音符となれり(宗谷燃さん)

 耳慣れなさから着想を得て詠まれたお歌ですね。全体に「ぎ、パ、ぶ、ば、べ、ぷ」と濁音や半濁音が散りばめられているあたりが、初句の「ぎこちなく」をより確かなものにしていると思いました。主体がおおよそ初めて声にするであろう「ニッケルハルパ」を、自信がないからでしょうか、「つぶや」いてみると、その声も含めてすべての声が音符となるように感じるという発見は、馴染みの無い楽器だからこそ生まれうるものなのかもしれません。「なった」ではなく「なれり」と古語にした意図はわかりませんが、私は「った」の強い子音が来るよりこちらの方が2億倍好きです。

2 新郎と新婦白夜の階段を降りたら高らかニッケルハルパ(ヒプ寿司Mikeさん)

 スウェーデンの民俗楽器ということで白夜の単語を持って来られたのかなと思います。向こうの結婚式がどのようなものかはわかりませんが、白夜の階段というフレーズはおしゃれ係数がめちゃ高いですね。降りたところで高らかにニッケルハルパの音が奏でられるのでしょう。実際、結婚式のために作られた伝統曲もたくさんあり、ニッケルハルパが使われることもあるようです。「たらたからか」の部分がリズミカルなのも歌意と合っています。「降り(る)」という単語と「高らか」という単語のイメージがやや相反する部分があるような気もします。

3 May pole will shine 今宵ハルパが追いかける涙の円弧回るダカーポ(同上)

 残りの文字数からMay pole will shineを5音(英語的に発音したら4音節な気はしますが自信ないです)として処理していることがわかります。メイポールを立てるのは向こうでは恒例行事となっているようです。次に続く「今宵」と併せて、夜のメイポールはやがて昼に輝くこととなる、という意味で捉えました。「追いかける」以降は連体形か終止形かで読み方が変わるので何句切れとするかが問題になります。私は「追いかける」は終止形、「回る」は連体形で読みました。意味と言うよりリズムで捉えた方が良いのかな、歌詞っぽいですよね。

4 タンジェント押してコサイン振幅しf字孔から震えて音色(同上)

 ニッケルハルパの鍵盤に取り付けてある木片をタンジェントと呼ぶことまで調べてくださったと思われる作品。実際のところ三角関数は関係ないんですが想起しますよね。また、弦の振動は物理学の範疇であるため、もしかしたら計算式にサインコサインタンジェントが出てくるかも知れません。一応、実際に押す箇所はタンジェントではなく鍵盤である点については補足させてください。

5 天鵞絨の音色がどこか哀愁を耳に懐かしニッケルハルパ(翔竜 翼飛さん)

 「天鵞絨(ビロード)の音色」とはまたおしゃれな比喩が出てきました。ニッケルハルパの音色は聞いたことがなかったのに懐かしいと思う方が多く、その帯びている「哀愁」と「懐かし(さ)」を「天鵞絨」というちょっと古めかしい言葉に託した点が見事。

6 談話室ニッケルハルパの鳴るに似た静かなもらい泣きをする人(Toijimaさん)

 談話室というとイギリスとかヨーロッパのイメージがありますね、なんとなく。日本の光景だとすると客間なのか、喫茶店的なところなのか、もらい泣きをする可能性はどちらにもあるのですが、どちらかというと前者かな~、「静かなもらい泣き」ですし。もちろん西洋の光景かもしれません。その方がしっくりくるかな。ニッケルハルパの鳴る、鳴く、泣く、という連想もできていますね。楽器の音を静かなもらい泣きに似ていると捉える(歌中では逆の向きでの比喩ですが)感性が素敵です。なんだろな、悲しい涙じゃないような気がします。

7 ステップで民族衣装揺めきてうねるリズムのニッケルハルパYumie Kushitaniさん)

 ニッケルハルパフォークダンスの伴奏楽器であることに着目した歌。現地の光景がきれいに描写されているように感じました。民族衣装の視覚的情報に、ニッケルハルパの聴覚的情報が加わり、その賑やかさや楽しさといったことも伝わってきます。ニッケルハルパの故郷の曲は拍が伸び縮みする、「うねるリズム」の曲が多かったりします。個人的に「で」は便利な半面使い所の難しい助詞だと思っているので(この場合は原因理由の意味が強くなる)、私なら「ステップに」にしちゃうかな。

8 共鳴し彼の地に想いを馳せているあなたの弾くニッケルハルパ(同上)

 ニッケルハルパに張られている共鳴弦は演奏した音に呼応して共振する仕組みになっていますが、それを「ここ」と「彼の地」との共鳴と喩えたところがお上手だと感じました。「あなた」が主体と同じところにいて、「あなた」と「彼の地」に関係性があるとも読めますし、「あなた」と主体は別のところにいて自分の演奏によって「あなた」がいる「彼の地」に想いを馳せているとも読めますね。私は前者で読みました。ニッケルハルパは今は目の前…おそらくスウェーデンではないどこかで弾かれているけれど、彼の地(スウェーデン)へ想いを馳せるように共鳴音が鳴っているというような解釈です。

9 5時間でニッケルハルパを組み立てろ
  せかいを救う最終手段 (NARE-NO-HATE Brothersさん)

 勢いが素晴らしいですよね。注文には数ヶ月、数年待つことも少なくないこの楽器ですが、5時間で組み立てたらせかいが救われるなら頑張れそうな気もします。「最終手段」なので他にも方法はあるはずだけど、残念ながら最終手段が必要になってしまったのでしょう。5時間という具体的な数詞も手段としての虚構のリアリティのためにちゃんと機能していますし、ニッケルハルパの製作家は一般に「ビルダー」なので「組み立てる」という動詞も的確だと思います。「せかい」と開いていることによって、おそらく我々の生きている世界ではない世界線の話を想起させ、最終手段の漢字4文字を際立たせています。

 10 笑うときニッケルハルパに似ているねきみがいうならそうなのだろう(とうてつさん)

 下の句から、上の句が「きみ」のセリフだと言うことがわかります。どんな表現だよ、とツッコみたくなりますし、主体もおそらくニッケルハルパを知らないようなので「きみ」のセンスはなかなか独特であるようです。しかしそれを否定せず、「きみがいうならそうなのだろう」と肯定できる主体のやさしさや、「きみ」への好意が感じられてどこかほのぼのする、そんな歌だと思いました。漢字が少ないのもほのぼの感を漂わせてくれています。

11 模写すれど省略されし鍵盤や弦の哀しみニッケルハルパ(NARE-NO-HATE Brothersさん)

 パーツがね、多いんですよね。だからどうしてもデフォルメの過程で鍵盤や共鳴弦が割愛されてしまう…というところにある「哀しみ」を詠った作品です。「模写すれば省略された鍵盤や」でも意味通り定型になりますが、文語調の方が哀しみはより強いものになる気がします。「鍵盤や弦の哀しみ」であるのでこれは擬人法ということになりますが、それがどこまで機能しているかは少し気になるところです。最後のニッケルハルパがやや唐突かな〜という気もしますが詠み込み必須を指定したのは私です。

12 柔らかな空はここから作られてニッケルハルパの音のする場所(八重森さくらさん)

 柔らかな空はニッケルハルパの音のする場所から作られているという素敵な比喩。ここ=ニッケルハルパの音のする場所、と読むのが素直だと思うのですが、最初に出てくる空という広い視点からニッケルハルパを弾いている人物に光景がフォーカスしていきます。先に作っておいた空間に音が広がるような構造になっていて先に代名詞だけ登場させたのも成功しているのではないでしょうか。空の中でも「柔らかな空」は「ここ」から作られるんでしょうね~。

13 知らぬ間に散ってる桜けれどもうニッケルハルパを知ってる春だ(若枝あらうさん)

 毎年同じように春はやってきて桜は咲いて散っていくわけですが、去年までと違うのは「ニッケルハルパを知ってる」ということ。それがどれほどのことかはわからないけれど、どこか前向きな、一歩成長した感覚を持ちました。異国の民俗楽器を知るだけの視野や人脈が広がったということでしょうか。ニッケルハルパという単語の使い方としてはかなり上手いと思います。すなわちここに来る単語はニッケルハルパじゃなくても歌は成り立ち得るとは思いますが、すぐに代替案は思い浮かばないのでニッケルハルパが正解なんじゃないですかね。あと私は二句切れが好きです。しいて添削をするなら四句で字余りしつつ結句で「い抜き」をしているのはひっかかるっちゃひっかかるので体言止めを辞さないなら「知っている春」にするかなあと思いました。

14 重たくて連れていけない相方の代わりに来い来いニッケルハルパ(奏鳴 綾人さん)

 代わりにニッケルハルパを迎えたがるということは「相方」とは楽器のことでしょうか。それとも目を惹く何か?少なくとも人間ではないでしょう。仮に鍵盤繋がりでピアノだとすると、真の相方はピアノだけどそれを「連れてい(く)」ことは難しいので代わりにニッケルハルパに「来い来い」という。ピアノならアコーディオンなどほかの選択肢もある中で、ニッケルハルパを選ぶ主体は独特な感性を持っているのかも知れません。ただ、迎えたら相棒が増えるだけで代わりにはならないような気が、します。

15 あの人の生まれた街に連れてって参考図書とニッケルハルパ(めーぷるしろっくさん)

 参考図書とニッケルハルパを並べるのが乙ですね。通して読むわけではなく、何かの参考のため一部を参照する本、そしてニッケルハルパが「あの人の生まれた街」を想起させるならスウェーデンについて調べているのでしょうか。異国について調べているとその国に連れて行ってほしくなることがある経験をした方も多いのでは。その心情と光景がきれいに描かれています。

16 耳慣れぬ響きにしばし戸惑ってニッケルハルパが浮かぶ白地図(宗谷燃さん)

 初めてニッケルハルパを見た人に説明すると「ニッ……え?」と聞き返されることは多いです。「ニッケルハルパ…?」と戸惑う主体の表情が見えてくるような気がします。そこから白地図に繋げたのが面白いですね、国の名前かと思ったのかしら。ニッケルハルパ共和国。うーん、ありそう。あるいはスウェーデンの楽器なんですと説明されてもスウェーデンがどこなのか曖昧で、白地図を広げることとなったのかもしれません。

17 まどろみのウェルニッケ野を駆けてゆくニッケルハルパと君の鼻声(あぼがどさん)

 ウェルニッケ野は言語中枢とも呼ばれ他人の言語を理解するときに使われる脳の領域のことで個人的に好きな単語です。まどろんでいる主体のぼんやりとしたウェルニッケ野に「ニッケルハルパ」という単語は馬耳東風だったのでしょう。しかも鼻声で言うからよりいっそう何言ってるのかわからない。その感じを「駆けてゆく」と形容したのは的確かつ素晴らしいと思いました。31文字の中に13文字のカタカナがあってちゃんと形になっているというのはお見事です。

18 いつぞやの ニッケルハルパ
  不意に聴き はるばる来たり
  在りし日の音  (こんばすちゃんさん)

 この歌に関しては客観的に読むことが不可能なので超主観で読みますが、先日ニッケルハルパの動画を投稿して、それをRTしてくださったアカウントに見覚えがあり、はなしかけるとやはり学生時代の先輩であったというミラクルが起きました。そのできごとを詠んでくださったのだと思います。不意にRTされてきたニッケルハルパを聴いたところ、在りし日…私が学生の頃でしょう、の音がよみがえってきた。そう解釈しました。「はるばる来た」のはニッケルハルパとも「在りし日の音」とも読めますね。

19 スキップすニッケルハルパ専攻の楽器ケースは異国に近い(遙禽すみさん)

 確実に日本にはニッケルハルパ専攻の音大生はいないでしょうから、虚構ではあるものの、ニッケルハルパ専攻と文字にされると、あるような気がしてくるから不思議です。ニッケルハルパにも当然ケースは存在するわけですが、そこに発想を持ってきたのは唯一無二でした。ほとんどの人は何が入っているかわからないそのケースを異国に近いと表現するのは未知なる物のニュアンスが出ていて良いです。初句でスキップす、と句切っている意図とスキップを持ってきた理由を掴みかねていますが全体として楽しそうです。

20 雪が溶け芽吹く草木の間をゆけばニッケルハルパの音に陽絡む(おふとんけいとさん

 ニッケルハルパと春を詠んだ作品。「音に陽絡む」は「おとにひからむ」かとは思いますが「ねにひ からむ」のリズムで読んだ方が私は好きなので勝手にそう読んでいます。春の陽の下、屋外で弾くニッケルハルパは暖かい印象を与えてくれます。全体として文字通りに読めば良さそうなのですが、名詞と動詞と漢字が多いのでちょっと煩雑な印象は持ってしまいます。それにより芽吹く草木が茨のように込み入っているイメージになっているかな~と。

21 背でキーはざわめき弓を執れば歌う共鳴弦の君と暮らす(おふとんけいとさん

 ニッケルハルパを背負って運んでいるときのカタカタという音を「ざわめき」と表現したことが素敵だと思います。57676で計31ですが韻律は不安定に感じます。運んでいるし、暮らしているので、楽器を持っている人のことを想像して詠んだのでしょう。つまり「君」はニッケルハルパのことであるわけですが、あのサイズの楽器は一緒に暮らしている感があるので擬人法でなく、本当にそう感じているのではないのかと思うわけです。(大きい楽器を弾いている私より)

22 鍵盤の嶺を軽やかステップし
  ニッケルハルパ響く山びこ(NARE-NO-HATE Brothersさん)

 鍵盤の嶺という表現が良いですね、確かに嶺に見えてきました。そこをステップするわけですから、指を足に見立てているのでしょう。軽やかに演奏している光景を、上手く捉えているなと感じました。「嶺」から「山びこ」という言葉が連想されたと思いますが、私は「ニッケルハルパ(が、の)響く山びこ」と連体形で読むよりは、「ニッケルハルパ響く/ 山びこ」と一度カットを切って、ニッケルハルパを響く時間を作った後、山びこ≒呼応≒共鳴の音が鳴るように読むのが好みです。

23 新緑の光とそよぐ風連れて
  ニッケルハルパ今日は夏至(あぐさん)

 「新緑」や「そよぐ風」から漂う5月感と、「夏至祭」(6月)は競合しているような気もしましたが、ニッケルハルパが5月を連れてきたまま夏至祭を迎えたと解釈すれば問題無いことに気が付きました。冬の長い北欧の人にとってはもう夏至が楽しみになってくる頃でしょう。ニッケルハルパがある意味最も輝かしい日に向かって行く爽やかさはきれいに描けていると感じます。超個人的な好みの話にはなりますが、「連れて」きた感をもっと活かしてあげるには「今日」よりも「明日」の方が良かったかな~~。単なる好みです。

24 ダルブッカ、ニッケルハルパにウードの音 イヤホンで飛ぶ遥かな異国(双海さん)

 私も経験がありますが、民俗音楽好きな人のiPodスマホで起こりがちな状況ですね!スマホ一つ、イヤホン一つで異国へ飛べる時代は楽しいなと思います。ダルブッカ(ダラブッカ)、ニッケルハルパ、ウードというチョイスもなかなか良いのではないでしょうか。打楽器、擦弦楽器撥弦楽器というように要素が被らないようになっています。とりあえずその3つがイヤホンから流れる人とは仲良くなりたい次第です。

ということで詠み込んであるものは計21首となりました。
歌に優劣をつけるのは複数人で行わないと完全に好みの話になってしまうので、あまり結果にはこだわらずにこれからも気軽に短歌を詠んでいただけたら嬉しいのですが、手応えも欲しいところかと思いますので、入選作品と特選作品を発表します。

入選(投稿順)

1 ぎこちなくニッケルハルパとつぶやけばすべての声は音符となれり(宗谷燃さん)

9 5時間でニッケルハルパを組み立てろ
  せかいを救う最終手段 (NARE-NO-HATE Brothersさん)

13 知らぬ間に散ってる桜けれどもうニッケルハルパを知ってる春だ(若枝あらうさん)

17 まどろみのウェルニッケ野を駆けてゆくニッケルハルパと君の鼻声(あぼがどさん)

の中から、特選は
まどろみのウェルニッケ野を駆けてゆくニッケルハルパと君の鼻声

とします。あぼがどさん、おめでとうございます!CDお送りしますね!

それでは、次回があるかはわかりませんが、次の企画にもご参加いただければ嬉しいです!

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私が詠んだものもおまけに…

TLになんてことない日常となんてことあるニッケルハルパ
ピロティを吹き抜けるとき風速が含むニッケルハルパの音色(笠原楓奏)

それでは。

私は春という季節が苦手だ。

春が悪いわけではないのだが、春になると不安定になるのは揺るがない事実であるから、できる限りで春を迎えたくないのが本音である。

春が苦手な原因ははっきりしていて私が小学六年生のときに遡る。
私は全校生徒が100人程度の小さな小学校で生徒会長を務めていた。

まもなく小学校を卒業しすぐ隣の中学校に入学することとなる私は校長先生に呼び出され、新入生代表の言葉を言えと言われる。後にも先にも校長先生に呼び出されたのはあれきりである。
どうやら代表は近隣の小学校で順繰りに担当しているらしく、今年はこの小学校の番なのだそうだ。

断る選択肢はほぼ無かった。
今思えば名誉ある経験なのかもしれないが、春休み中は当然のようにずっと緊張していた。

人前で話すことに少し慣れてきていた頃ではある。実は緊張したのは当日ではない。
入学式より前に、まだ入学していない学校の制服を着て、一人で中学校に乗り込み、担当の先生の添削を受ける、というミッションが当時の私にはあまりに重荷だった。

適度に暖かく、雲の少ない空。春特有の南風が吹いていた。
なんだかよくわからない校門の花が咲いていて、すれ違った「先輩」は不思議そうに私を一瞥する。

職員室の隣、進路指導室で、後に国語の先生ということが判明する先生に原稿用紙を見せる。「読書は好き?」「最近は何を読んだ?」そんな質問をされた。最近読んだのは子ども向けの江戸川乱歩だが、第一印象はもう少し無難な方が良いのではないか、などと考え「チャーリーとチョコレート工場」と答えた。

後にその先生とはハヤカワミステリの話で盛り上がることとなるのでいらぬ心配だったのだが。

正直、その日の方がよほど印象に残っていて、入学式のことはほとんど覚えていない。
おそらく首尾よくこなしたのだろうと思う。
なんというか、新入生も在校生も誰も聞きやしない声明にも意外としっかりした準備があるのだ。

と、まあこれだけしっかり覚えているし、春風が吹くたびにあの緊張感を思い出す程度には私の中で上書きされない記憶になっている。
新生活、新学期、そういったことの不安も今までの間で蓄積され、春の不安係数はとてつもなく高まっている。

今の仕事に就いたのも2年前の5月のことである。
この時期になると働いている建物の木がどことなく薫りだし、入社時の緊張を思い出す。

春は苦手。春は人々を唆すから。

マッサージ

全身ガッチガチバッキバキ人間なのだが揉みほぐしに行くということをひどく躊躇っていた。知らない人に身体を触られることが基本的に嫌いだと思っていたからだ。

しかし、初めて行ったけど良かったという知り合いの話を聞いた翌日だったかな、物は試しにと思って行ってみると案外嫌な気分にはならなかった。

その後、今日までで3回も揉みほぐしに行っている。
一向に身体は楽にならないが、美容院しかりマッサージしかり、お金を払うことでそういったサービスを受けるということがどうやら好きなようで、自分のためになにかをしてくれている優越感のようなもの欲しさに通っている節はある。

罪悪感なく何かをしてもらうことは日常では少ない。
ありがたいけど申し訳なくもあるという気持ちになることがほとんどだ。
だからお金を払うというプロセスによって罪悪感を覚えることなく奉仕の部分を受け取ることができる。

ただこの理屈で行くと風俗店も該当してしまいそうな気がするので、私にそういう欲求がなくてよかったと思っているところ。

誰しも大切にされたい感情はあるのだろうし、それが満たされる場所を見つけられた人から順に幸せになれるのだろう。
無償の愛については存じ上げないが有償のマッサージでも手に入る、労られる感覚、というものは実は貴重なのかもしれないな、と思うのであった。

私家版歌集の一例として②

前回の報告↓

kasaharafuka.hatenablog.com

こんにちは、俗に言う笠原楓奏です。

ついに100部印刷した在庫が残り半分になりました。
お買い上げいただいた皆様、誠にありがとうございます。

3月11日時点での内訳はこんな感じ。

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増刷するかどうかは今後の販売経路が見いだせるかどうか次第ですので、刷るかもしれないけど、念の為お早めに。

初版プレミアがつくかはともかく、サイン入りは初版だけにするかもしれません。

前回の投稿のときにはPVを作っていましたが、今回の投稿前には主題歌を作っていました。

youtu.be

私はどこへ向かっているのか。
正直にいうと、特にこれを投稿したあとに売れたりすることがあったわけではないのでTwitterで買ってくださいと正直に言っていたほうが買ってもらえます。

5月には東京で文学フリマがあるらしいのですが某ロナウイルスの関係でてっきり無いと思っていたんですよね。
あるなら出店も検討したと思うのですが、ご挨拶にだけでも伺おうかなあ。
ご縁が増えれば可能性も増えますからね。

ということでもしも私を見かけたらそのときはよろしくお願いします。

ご購入はこちらから!

resonosound.thebase.in

 

私家版歌集の一例として、番外編もぜひ読んでください!

kasaharafuka.hatenablog.com